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英語と私 緒車 奈穂子

第二言語として英語を習得した講師たちの体験談

英語のプロが今までどのように英語を学んできたのか、英語とどのようにかかわってきたのかをご紹介します。

最初に

プロの通訳者と聞くと、当然、留学経験者か帰国子女と考える方が多いようです。どちらでもありません、とお話しすると驚かれますが、実はそんなに珍しいわけではありません。通訳には盤石な日本語の基礎が必要だからか、あるいは英語を「しゃべる」のと「通訳する」のとは異なる技能が求められるからか。その議論はまたの機会に譲るとして、今回のお題は「ブレイクスルー」ということですので、純国産の私がどのように英語を身に付けたのか、自分なりに思い当たる出来事から4つを選んで振り返ってみようと思います。

ただし、いずれの段階でも、そこを通過中に「これがブレイクスルーだ!」と感じたわけではありません。振り返ってみると、どうやらその時期に集中的に何かを行なったことが、言わばマグマのように溜まっていき、やがてそれがブレイクスルーして、私の英語力を押し上げた。。。ように感じる、という意味ですので、念のため。

中学時代

ではまず、中学時代から。

英語に初めて触れたのは中学校の授業です。先生からNHKラジオ『基礎英語』を聞くように勧められ、初回の放送で虜になりました。放送が終わると翌日が待ち遠しくて仕方がない。中学校三年間、学校を休んだ日はあっても、番組を聞き逃した日は一度もありませんでした。別にそういう目標を立てたわけではなく、面白いから聞き続けていたら結果的にそうなっただけなのですが、これが最初に溜まったマグマだと思います。

当時は今のように手軽にどこでも本場の英語が聞ける環境ではありませんでしたので、毎日たった15分間でも生の英語に触れたことは大きいと思います。加えて、毎日少しずつインプットしていくことで、あたかもペンキを重ね塗りするように、英語の基礎、特に文法が身に付いたのも大きな成果だったと感じます。さらに「英語は毎日触れるもの」という、この頃インプットされた習慣(思い込み?!)は今でも続いていて、大きな支えになっています。

語学習得には反復練習や継続学習が大切、とわかっていても「なかなか続きません」とよく相談を受けます。始めに継続ありき、ではなく、つい続いてしまうほど好きな教材や学習法を見つける、というアプローチはどうでしょうか。鉄道が好きだから関連の動画や本に取り組む、好きな俳優の出演作を片っ端から見る、体裁が気に入ったからこの問題集をやる、等々取っ掛かりはいろいろ見つかると思います。

大学時代

続いて大学時代です。

英語好きは高校、大学でもずっと続き、その間に英語キャンプなど生の英語に触れる機会にも恵まれて、英語熱はさらに高まっていきました。そして大学三年の時に応募した「日米学生会議」への参加が、2つめのブレイクスルー(のマグマ)になりました。

日米の大学生40名ずつが参加し、アメリカで行われた一か月の会議は、数日ずつ宿泊地を変えながら、ディスカッションや視察を行うなど、盛りだくさんの内容でした。私にとっては初めての外国。アメリカ人学生との会話や、店員さんとのやりとり、街歩きなどすべてが新鮮で、刺激的だったのはもちろんですが、英語学習の面では特に、準備の一環として自分でテーマを選んで発表用のペーパーを書いたことが大いに勉強になりました。それまでも授業の課題で短いエッセイを書いたことはありましたが、自分の意見をペーパーにまとめるのは初めて。先輩に構成等をアドバイスしてもらいながら、自分の言いたいことが本当に意図通り表現できているのか、ああでもない、こうでもないと呻吟したのを覚えています。この経験を通じて、英語の書き言葉へも関心が向くようになり、また英文を書くことへの抵抗感が薄れました。

社会人時代

そして社会人時代。

大学卒業と同時に証券会社に就職しました。バブル時代のバブリーな業界です。海外部門に配属され、マグマはちょっとずつ溜まっていきましたが、4年目に外資系へ転職したのが、3つめのブレイクスルーとなりました。転職先の米系証券会社は、当時東京にあった外資系の中でも外国人比率が特に高く、会議や上司への報告では英語を使うのが当たり前の毎日でした。しかも語彙や業界独特の表現などはある程度決まっていますので、よく出てくるものは自然に覚えてしまいますし、ネイティブの使った表現を自分の発言に取り入れるのも容易です。繰返し耳に入れる、覚えた言い回しをすぐに使ってみる、という効率の良い語学習得メソッドを図らずも実践していたことになります。

このメソッドはマグマも溜まりやすく、ブレイクスルーも起こしやすい。つまり自分で成果を感じやすいので継続のモチベーションにもなります。社会人には「自分の仕事の知識」という最強の味方があるわけですから、これを使わない手はありません。まずは「自分の分野」に絞って英語力を底固めし、そこから順次、守備範囲を広げていくのが、回り道のようでも結局いちばんの近道だと思います。

発音やイントネーションを褒められることが増えたのもこの頃です。確かに、シャワーのように生の英語を浴び続け、社外でも思わず英語で話そうとしてしまうような日々でした。が、ひとつ苦手意識を持っていたのがリーディングでした。社内で配布される英文レポートなどは、つい翻訳版で読んでしまいましたし、引用のために原文の該当箇所を探す、という単純な作業にも一苦労というありさまでした。読むことにまったく慣れていなかったわけです。

転機

そのことに転機が訪れます。

読むことを徹底的にやる機会になったのが、家庭の事情で会社をやめて家にいた数年間でした。英語好きに変わりはありませんでしたが、今のようにネットで素材が選び放題、という時代ではなく、ラジオの語学講座やテレビの二か国語放送を聞くのがせいぜい。その代わり、原書をどっさり読みました。と言ってもほとんどがミステリーや探偵小説。ここでも「好きだから、面白いから長続き」の原則が当てはまったわけです。英語の読書サークルにも参加し、好みの合う仲間にオススメを聞いて手当たり次第に読みました。「時速何ページ」という考え方を教えてくれたのもこの仲間でした。一時間に60ページは軽い、と聞いて驚愕。東京と大阪を往復する間にペーパーバックが1冊読めてしまう計算です。自分は各駅停車どころか徒歩だなぁとあきれたのを覚えています。

が、それはともかく、面白いのはこの時期、たまに英語を話す機会があっても衰えを感じなかったこと。周りからも「そんなに現場から離れてて、よくすらすら出てくるね」と言われましたが、これは多読のおかげでしょう。「読む書く」は「聞く話す」の基本と言われますが、これまた図らずも実践していたわけです。

こうして考えてみると、ブレイクスルーというのは、1の努力が1の実を結ぶのではなく、努力が(マグマとして)千や万の単位で溜まったところで、ある時突如、結実するもののようです。「量が質に変わる」という表現を聞いたことがありますが、まさにその感覚。上達のグラフは直線でも放物線でもなく、階段状なんですね。

自分の道のりを正当化したいわけではありません(いや、したいです)が、外国語を習得するには現地に行かなくては、ということは決してありません。むしろ現地に行っても「いる」だけでは成果はなく、どこにいようと「常に意識的に言葉と向き合っているか」だと思います。つまり身体がどこにあるか、でなく、頭がどこにあるか、が勝負。まして今日、日本にいても語学学習の環境は意識と工夫次第でいくらでも整えられます。

自然と長続きするような楽しい「工夫」を見つけられたら、こっちのもの!そのためにはいろいろ試してみるのがいちばんです。同好の士や先達に会える、という意味では語学学校の講座やセミナーを受講してみるのも良いきっかけになるでしょう。。。と最後はちょっと宣伝でした。

●緒車 奈穂子(OGURUMA, Naoko)
上智大学外国語学部卒業。
日系・米系証券会社勤務を経て、フリーランス通訳者。